真屋順子の夫や長男との血縁関係の真実とは?見栄晴との関係が?

真屋順子の女優としての活躍や欽ちゃんとの?

真屋順子さんは女優として活躍を
していた方です。

 

1942年1月8日生まれなのです。
2017年12月28日に75歳でお亡くなりに
なりました。

 

出生地は朝鮮釜山で終戦3歳のときに
引き揚げをして日田市で育っています。

 

「大分県立日田高等学校」を中退後
松竹歌劇団に入団をしました。

 

俳優座養成所卒業後に劇団雲に研究生
として入りました。

 

1975年に劇団集団 円に参加をし
1980年には夫の高津さんと劇団樹間舎
を旗揚げしました。

 

1970年代にはライオンの家庭用食器洗剤
などのCMにも出演をして家庭的な
イメージを作り上げ1976年から放送されて
高視聴率を記録した
「欽ちゃんのどこまでやるの!?」に
お母さん役でレギュラー出演をして人気
を得ました。

一方、山口百恵さん主演の「赤い絆」
では山口百恵さんの適役を演じて視聴者
からの反感を買って相当悩んでいたようです。

その悩みを聞いた萩本欽一さんから
ドラマが終わったら「欽どこ!?」のウエイト
を大きくしなよとアドバイスをされて
その言葉を胸に演じきったそうです。

真屋順子の夫や長男との血縁関係の真実とは?見栄晴との関係が?

 

 

真屋順子さんは錦どこなどで一世を風靡
した女優さんですが・・・

1969年に夫の高津住男さんと結婚
をしています。

 

2000年12月23日に音楽会の司会として
舞台上に出演している最中に脳出血
で倒れて左半身麻痺などの後遺症が残って
しまいました。

 

その後は夫である高津さんの懸命な
看病とリハビリテーションで車椅子
ながらも舞台に復帰をしていました。

 

2004年には脳梗塞を発症するも
2005年には再び舞台で復帰を果たして

います。
2008年には公園でさんずの川は
六文銭もない貧乏だから渡れなかったと
元気な姿も見せていました。

 

しかし・・・
2010年に夫の高津住男さんと死別
をしています。
死因については公表はされませんでした
が、「肝臓癌」であることが判明
したようです。

 

そのショックもあってか真屋順子さん
は2010年に心不全になっています。

 

さらに
2011年には大動脈瘤が見つかって
4時間に及ぶ手術を受けています。

 

2017年に真屋順子さんは全身衰弱
のために都内の病院で死去しています。

 

晩年は病気との戦いでとても大変な
生活だったようですね。

 

真屋順子さんと夫の高津さんの
間には長男である息子さんがいますが
どうやら真屋順子さんとは血縁関係
はないようです。

 

噂によると夫である高津さんの連れ子
ではないかと言われています。

 

真屋順子さんは欽どこファミリーで
一緒に出演をしていた見栄晴さんを
許せない人物として確執を持っていた
ようですね。

 

見栄晴さんは結婚や出産の報告を真屋順子
さんに一切せずにいたことに真屋さんは
ショックを受けていたようです。

 

息子のように可愛がっていた見栄晴さん
の不義理が相当ショックだったようです。

 

しかし、見栄晴さんはその不義理で
真屋順子さんが怒っているということに
気づかずに謝ったら許してくれて
確執は解消されたようです。