山川穂高の実家の父親や母親とは?年俸は移籍後いくらになったの

山川穂高の実家の父親や母親とは?年俸は移籍後幾らになったの?

山川穂高の経歴やプロ野球選手になった経緯とは?

山川穂高さんはプロ野球選手として活躍を
している方です。

 

山川穂高さんは1991年11月23日生まれで
沖縄県那覇市出身です。

 

那覇市立城北小学校の時に野球を始めて
「首里マリナーズ」に所属をしました。

 

那覇市立城北中学校時代には「チームSOLA
沖縄」でプレーをしました。

 

当時の監督からは「お前はホームランバッター
になれるから、絶対に小さい打撃をするな」
と指導を受けていました。

 

中学校ではバレーボール部に所属をして
いました。

 

沖縄県立中部商業高等学校では主に一塁手、
外野手として出場をして2年生秋から4番打者
を務めました。

 

高校の時には甲子園だけを目指して燃え尽きる
気持ちでやっていたために高校までで野球は
辞めるつもりでいたそうです。

 

大学野球指導者である「青木久典」さんに
自身と母親の前で土下座をされて必ずプロに
行かせるのでうちに来てくださいと懇願され
たために「富士大学」へ進学をしています。

 

大学3年生の時には第26回アジア野球選手権
大会の日本代表に選ばれています。

 

同年の10月に行われた東アジア競技大会では
大学生で唯一日本代表に選ばれて4番を務め
ています。

 

2013年10月24日に行われたプロ野球ドラフト
会議で埼玉西武ライオンズに2位で指名をされ
ています。
契約金7000万円、年俸1200万円で仮契約
を結びました。

 

2023年はWBC日本代表メンバーに初選出
されています。

山川穂高の実家の父親や母親とは?

山川穂高さんは沖縄県出身です。

山川穂高さんの母親の実家は沖縄県の離島
である「久米島」だそうです。

 

子供の頃には母親の実家がある久米島に
よく遊びに行っていたそうです。

 

山川穂高さんの実家は卒業をした小学校や
中学校から考えると沖縄県那覇市首里石嶺町
にあるようですね。

 

ここまで父親に関して情報がないのですが
山川穂高さんは母子家庭で育っています。

 

兄弟もいないために母親と2人家族で育った
ようですね。

 

母子家庭で家計が苦しかったこともあり
山川穂高さんに母親は大量のご飯を作って
あげたようですが、自分は版だけを食べて
食費を節約などしていたようですね。

 

幼い頃には母親のすすめで書道を習い出し
8段という腕前を持っているそうです。

 

さらに・・半年ほどピアノを習っていたそう
で、ピアノ演奏もできるそうですよ。

 

そんな母子家庭で育った山川穂高さんは
母親が母の日に観戦に来ていて2打席連続
でホームランを打って大活躍をしたのです。

 

母親にとってはこれ以上にないプレゼント
になったでしょうね。

山川穂高の年俸は移籍後幾らになったの?




山川穂高さんは2013年にドラフト2位で
西武ライオンズと契約をして以来、現在まで
移籍はしていません。

 

山川穂高さんの現在までの年俸の推移
2014年「1200万円」
2015年「1200万円」
2016年「1000万円」
2017年「1600万円」
2018年「3240万円」
2019年「1億1000万円」
2020年「2億1000万円」
2021年「1億7000万円」
2022年「1億3000万円」
2023年「2億7000万円」

 

現在はまだ西武ライオンズに所属をしている
山川穂高さんですが・・・

 

球団からは4年契約にもなるといわれる複数
年契約を提示されたにもかかわらず単年を
選択しています。

 

その理由としては、過去の2年間納得のいく
成績が残せず今年もダメならやめようと
思っていたそうです。

 

重圧をかけてやっていたそうです。
野球人生をかけていくために単年のほうが
良いと考えてのことだったようです。

 

ただ、周りからはFA権を獲得する事情を
考えると移籍を視野に入れた単年契約である
という見方もあるようですね。

 

スポーツ選手は選手生命が短いので少し
でも条件の良いところにいくことは当たり前
ですからね。