T-BOLANのボーカル森友嵐士の病気が壮絶?復活した声が新しい!

T-BOLANのボーカル森友嵐士の病気が壮絶?復活した声が新しい!

T-BOLANの活動経歴とは?解散や再結成

T-BOLANは4人組のロックバンドです。

1990年に結成をしています。
1991年7月にビーイングからデビュー
をして1995年までの4年間で1700万枚
というセールスを記録しています。

 

1999年12月に解散をしています。

2012年オリジナルメンバーによって
再結成をしています。
2014年4月26日に再び活動休止をして
います。

 

2016年12月31日に豊洲PITにて一夜限り
の再結成カウントダウンライブを行い
2017年より再始動、活動再開を果たして
います。

T-BOLANのボーカル森友嵐士の病気が壮絶?

T-BOLANは人気が大爆発した
4人組のロックバンドです。

ボーカルを森友嵐士さんが務めて
いました。

見た目の雰囲気が映画シザーハンズの
主人公に似ているとも言われていました。

 

1987年にドラムスの青木和義さんから
誘われて、T-BOLANの前身となるバンド
「プリズナー」を結成します。
「第2回BADオーディション」で
グランプリを受賞しています。

 

1988年7月22日「BOLAN」として
ビーイングのインディーズレーベル
「YEAH」からインディーズデビュー。
年間100本以上のライブを行いました。

 

1991年7月10日にT-BOLANシングル
「悲しみが痛いよ」でメジャーデビュー
を果たしました。

 

テレビドラマ「ホテルウーマン」が
挿入歌になった森友嵐士さん作詞作曲に
よる「離したくはない」が有線へ
リクエストが殺到しました。
ドラマが終わる直前にシングルカット
をされて約50万枚のヒットとなりました。

 

その後、大ヒットを連発して大人気
バンドとなりましたが・・・

 

1991年12月に喉の不調が森友嵐士さん
に現れていたのですが・・・
「心因性発生障害」だと判明しています。

 

「原因も治療法も不明の病気である」
と診断を受けたことだ決定打となって
森友嵐士さんの申し出によって
T-BOLANが解散となりました。

 

その後、森友嵐士さんは病気を治すべく
都会の喧騒から離れて1人リハビリに
励みました。

 

そもそも喉の不調の症状が出始めたのは
人気絶頂だった1994年の終わり頃だった
そうです。

 

山梨のアトリエと東京のスタジオを行き来
する生活を続けながら、いくつもの
医療機関を訪ねて、発生障害の原因と
治療方法を探していました。

 

現在はリモートワークで地方移住者も
増えたそうですが・・・
当時は住人はほとんどいなかったそうです。

 

たった1人で富士山にむかって歌の
トレーニングをしていたそうです。

田舎での療養生活でも不安がつきまとい
時代から置き去りにされるんじゃないか
とか、都会で磨かれる感性が鈍るのでは
ないかとか怖かったそうです。

 

1週間ぐらい山梨に滞在すると不安に
かられて東京に戻ったそうですが
八王子あたりからだんだんと暗い気持ち
になっていったそう。

 

結局は東京にいったところで人に会う
だけで、スケジュールが埋まっていない
ことが不安につながったそうです。

 

その後、本格的に療養するために
東京での生活をすてて、富士山麓の
アトリエを住居としたそうです。
本籍まで移したというので相当な覚悟
だったのでしょう。

 

自分では2−3年で戻れるとたかを括って
いたそうですが、医者には10年と言われて
バッサリと移住する覚悟を決めたそうです。

 

腹を括って移住をしても、すべてが後ろ
むきの気持ちでいたそう。

イライラは頂点に達して自暴自棄になり
いろんなものを壊したそうです。

 

当時は音楽を聴くことがつらいし、
ジェラシーが生まれるために音楽が
流れると止めていたそうです。

 

闘病生活は10年にも及んだんです。
その10年間に活躍をしたミュージシャン
は森友嵐士さんはほとんど知らないそう。

 

発生練習やトレーナーさんにあっての
練習はT-BOLANの歌声に戻すという
気持ちだったそうです。
その考えが余計に森友嵐士さんを苦しめ
ました。

 

しかし・・・小さな転機が訪れたのは
息子さんが生まれたとき・・・

 

息子っておやじの背中をみている・・・
過去の自分に負けてるおやじって
どうなんだろうと・・・

 

療養中にもプロデュース業などの
さまざまなオファーは来ていたそうです。

 

ただ当時は歌えない自分は何もできない
とすべての仕事を断っていたそうです。

 

そして・・・
息子さんを眺めながら・・・
過去の自分に負けているっていう発想が
そもそも間違っていないか?と思った
そうなんです。

 

T-BOLANを封印してリハビリや発生
方法も変えて意識改革をして取り組んだ
課題曲が「上を向いて歩こう」だった。
大きな手応えを感じることができたそう。

 

2009年にはソロ活動を開始して
2012年にはバンドとしても再始動を
しました。

そして2017年にT-BOLANの活動を
開始したのです!

 

当時は神様は意地悪だな、なんで僕ばっかり
と思ったそうですが、歌声を失って
出会えたものもたくさんあり、あの経験が
あったからこそ生まれる音楽があると・・・

 

歌声は取り戻してはいないと森友嵐士
さんは言います。あくまでも新しく
作っただけ・・・だから不安がゼロでは
ないけれどくるならこいという感じと
語りました!

 

人は経験をしないと絶対にその人の
つらい気持ちや状況なんてわかりません
だからこそ森友嵐士さんが経験をしたこと
は唯一無二の森友嵐士さんだけの宝だと
思います。
誰にも奪われることのない宝です。