伊集院光の天才と言われる驚きの事実とは?弟や父親の衝撃の事実がやばい
伊集院光の落語家時代やラジオの経歴とは?
伊集院光さんはお笑いタレントや
ラジオパーソナリティとして活躍を
している方です。
1967年11月7日生まれで、東京都
荒川区西尾久出身です。
本名は「篠岡建(しのおかけん)」
1984年7月に不登校を案じられて
叔父の知り合いの紹介で、圓楽一門の
三遊亭楽太郎に弟子入りをしています。
高校は卒業間近の3年生の2月で中退を
しています。
初高座は1985年9月10日の寄席若竹で
演目は「釜泥」
その後、師匠には内緒で当時ニッポン
放送ディレクターだった安岡さんに
「伊集院光」と名付けられて、ラジオ番組
に出演を始める一方で・・・
1988年に二つ目に昇進して同年の
第17回NHK新人落語コンクール本選に
「子褒め」で出場をしています。
「笑点」の若手大喜利にも出演経験が
あります。
1990年「伊集院光」として脚光を浴び
ていたラジオ番組出演が一門に知られて
問題となりました。
話し合いの結果、楽太郎からは波紋
されずに自主廃業として落語界から離れて
います。
しかし、楽太郎さんは伊集院さんを
擁護していてその後も一門へ出演を
させたりと円楽さんはいまだに身内
として扱っているそうです。
その後は数々の人気ラジオ番組に
携わり大成功を収め、さらにはタレント
としてもテレビ出演をして全国的に
認知される存在となりました。
伊集院光の天才と言われる驚きの事実とは?
伊集院光さんは現在ではものしりで
雑学王といわれるぐらいの天才的な頭の
良さが多くの人の印象ではないでしょうか。
しかし、上述したように高校を中退して
いるために中卒という学歴なんです。
元々の素質はあったというか頭が
よかったというのは事実だと思います。
ただ不登校になってしまったことで
中退をして中卒になっただけのこと。
しかし、世間からは中卒という認識に
なってしまうので負けたくないという
一心で落語家路だから本をいっぱい読んだ
そうです。
伊集院光さんは大学を出ていないという
劣等感があるために、大卒の人も知らない
ようなことを知ってないとカッコ悪いって
思ったそうです。
だから背伸びをして難しい勉強も
頑張ったそうですが・・・
基礎のことはわからなと語ります。
ただ・・・クイズは学力とは違う
クイズ力というものがあるそうです。
さらにはラジオ家といわれるぐらい
しゃべりがうますぎると周りから
言われている伊集院光さんですが
スタジオでの気遣いも普通の人とは違い
対面しているアシスタントだけではなく
まんべんなく全員を見ながらトークを
しているそうです。
リスナーの心をキャッチしてやまない
伊集院光さんのトーク力というのは
リスナーの共感を得る話し方があると
いいます。
伊集院光さんは常に
「面白いかどうか」
「リスナーにとってわかりやすいかどうか」
を考えて話しているようです。
毎日違うネタを持ってきてリスナーが
置いていかれない技術を持っている
天才だとスタッフは語っています。
ラジオに長年関わっているスタッフも
伊集院光さんのような技術をもった
パーソナリティはいないし真似をしよう
としてもできないものだと感想を言って
いるので、真の天才なのでしょう。
伊集院光の弟や父親の衝撃の事実がやばい!
伊集院光さんは父親・母親・兄・姉・弟
がいます。
伊集院光さんは温厚なイメージですが
お姉さんとは不仲だそうです。
お姉さんが結婚した現在の苗字も知らない
ぐらい関係がないようです。
しかし、お兄さんとは仲が良いようです。
同じ親から生まれたといっても性格
も色々あり兄姉弟とすべて仲が良いという
のもなかなか難しいのかもしれません。
最近は介護問題などで9割の兄弟姉妹が
仲違いをするそうです。
伊集院光さんの父親は大手メーカーの
「ライオン」の研究員だったそうです。
父親はかなり優秀な方だったようで
ライオンから発売された「タンポン」
の開発にも携わっていたそうです。
母親は料理学校の教師をしていたそう
ですから、伊集院光さんはお母さんの
美味しい料理をいっぱい食べて成長した
のでしょうね。
お兄さんもかなり優秀な方なようで
「女神転生」というRPGゲームの開発
に携わっていたようです。
そう考えると伊集院光さんの家系は
理系の家系なのかもしれません。