渡部陽一の年収が現在は驚愕の金額に?新しい活動の理由とは?
渡部陽一が戦場カメラマンになった理由や経歴とは?
渡部陽一さんは戦場カメラマン・フォトジャ
ーナリスト・タレントとして活躍をして
います。
渡部陽一さんは1972年9月1日生まれで
静岡県富士市出身です。
富士市立田子浦小学校
富士市立田子浦中学校
静岡県立富士高等学校を卒業後
早稲田大学を目指して2年間の浪人の末
明治学院大学法学部に進学をしました。
落合信彦さんの著書に登場する弁護士の存在
をしって困っている人を助ける仕事をしたい
と思って法学部に入ったそうです。
大学の一般教養家庭の生物学の授業で
アフリカの狩猟民族に興味を持って、
旅行者としてピグミー族に会いに行くために
アフリカのコンゴ民主共和国に行きました。
当時はルワンダ紛争中だったので少年兵
に襲撃をされてカメラを含めた私物を全て
差し出して助かったそうです。
帰国後にこのことを伝えても理解してもら
えずに状況を伝えるためにはカメラで撮る
必要性を感じて戦場カメラマンになること
を決めたそうです。
大学1年生のときから戦場に取材にいき
2回留年した後に試験の時のみ一時的に
帰国をして大学を卒業しています。
飲食店や写真撮影のアルバイトで貯めた
資金で取材をしていたそうです。
初の撮影写真が掲載された雑誌は
「エブリデイ毎日」
過去には平均して1年の半分は海外に滞在
して仕事をしており・・・
130の国と地域の紛争地域を取材しています。
2009年末TBS「1億3000万人の法則」で
戦場カメラマンの仕事についてインタビュー
を受けています。
その後2010年ころからさまざまなテレビ
番組への出演を重ねるようになりました。
渡部陽一の現在の新しい活動の理由とは?
渡部陽一さんは2010年頃からはテレビに
多く出演をしてゆっくりとした話し方や
キャラクターが受けて大人気となりました。
しかし、現在はテレビで見ることもほとんど
なくなったように感じます。
渡部陽一さんは現在は何をしているの
でしょうか?
そもそも2010年頃から渡部陽一さんが
頻繁にテレビ出演をしていた理由は
「世界の戦場が悲惨であることを知って
もらうため」という理由が一番だったのです。
渡部陽一さんはタレントとして売れたかった
わけではなく世界の現状を知ってもらうため
にテレビに出演するのが一番いいと考えた
のですね。
その証として、2010年に長男が誕生した
後に妻は戦場にもういかないでタレントをし
てほしいと懇願したようですが・・・
渡部陽一さんはそこは譲らなかったようです。
戦場にいくには渡航費などの費用もかさむ
ためにタレントとして活動をすることで
費用を稼ぐ目的もあったようですね。
現在は本来の目的である戦場の悲惨さんを
伝えるためにテレビ出演を控えて戦場
カメラマンとしての活動を再会しています。
さらに並行して講演活動も行い世界の状況
を伝えているようですね。
渡部陽一の年収が現在は驚愕の金額に?
渡部陽一さんは現在も戦場カメラマンと
して活躍をしていますが・・・・
年収はどのぐらいあるのか気になるところ
ですね。
基本的に戦場カメラマンの平均年収は
250万円〜500万円ぐらいといわれて
います。
命懸けで世界の悲惨さを伝えている仕事
というわりには安いと感じる方も多いの
ではないでしょうか・・・・
結局戦場カメラマンをしている方々はお金
のためではなく信念のためにしていると
いう感じでしょうね。
渡部陽一さんは一時期テレビで出演を多く
していた時期はかなりの年収があったと
思われます。
テレビ出演のギャラはかなり高いので
ピーク時には何千万円は超えていたでしょう。
現在は、テレビ出演を抑えているために
ピーク時よりは減ったと想像できますが・・
講演会がかなり人気でひっぱりだこ状態の
ようですね。
渡部陽一さんの講演会料は50万円〜100万円
といわれています。
もちろん事務所に所属をしているのですべて
の講演会料が渡部陽一さんに入るわけでは
ありませんが、現在でも年収は1000万円は
超えているといわれています。
実際には1000万円にはとどまらないでしょう
が・・・実際に渡航費などがかかるので
出費もそれなりに多いと考えるとタレント
業だけをしている人よりも残るお金は少なく
なるでしょう。