葛西紀明の年収の詳細や金額とは?生い立ちが壮絶!父親や母親とは
葛西紀明のスキージャンプ選手としての経歴!
葛西紀明さんはスキージャンプ選手
として活躍をしている方です。
1972年6月6日生まれで、北海道上川郡
下川町出身です。
16歳から日本代表として国際大会に
出場を果たし・・・
1992年でアルベールビルオリンピック
に19歳で初登場以来・・・
リレハンメル・長野・ソルトレイクシティ
トリノ・バンクーバー・ソチ・平昌と
史上最多の合計8回の冬季オリンピック
に出場を果たしています。
スキージャンプの選手としては異例の
30年以上のキャリアを持っているため
「レジェンド」との異名を持っている方
ですね。
葛西紀明の年収の詳細や金額とは?
葛西紀明さんは現在もスキージャンプ
の現役選手として活動を続けています。
年齢的には考えられないぐらいの
現役続行ということで中年の星とも
いわれていますが・・・
葛西紀明さんの年収はどのぐらいある
のでしょうか?
葛西紀明さんは現役選手としても
そうですが、監督としても土屋ホームに
所属をしています。
そして・・土屋ホームからはサラリーマン
のように毎月お給料がでているようです。
土屋ホームでは部長クラスの年収
と考えられるので600万円ぐらいの
年収があると考えられます。
さらに、葛西紀明さんはジャンプの
大会などでのコメンテーターや
テレビ出演などの仕事もあります。
そういう仕事も総合して考えると
2000万円ぐらいの年収は軽く超えて
くるのではないでしょうか?
あくまでも推定ですが・・・
レジェンドとしてメディアに多く
取り上げられることもあるので
もっと稼いでいる可能性も高いですね。
葛西紀明の生い立ちが壮絶!父親や母親とは
葛西紀明さんの生い立ちが壮絶だという
ことなのですがどういうことなのでしょう
葛西紀明さんは北海道下川町で少年時代
を過ごしました。
父親「利紀」さん
母親「幸子」さん
姉 「紀子」さん
妹 「久美子」さんの5人家族でした。
父親は持病があったこともあり全く
働かなかったそうです。
そのために、母親が朝から晩まで
働いて家計を支えていたそうです。
しかし、母親が朝から晩まで働いても
家族5人が生活していくのは大変で近所
から米やお金を借りなければ暮らして
いけなかったそうです。
そんな貧しい少年時代を過ごした
葛西紀明さんですが・・
中学3年生のときにジャンプに出会って
地元のジャンプ少年団に所属をしました。
母親は貧しい生活ではあったものの
葛西紀明さんにジャンプを続けさせて
くれたそうです。
しかし・・・・・
1996年に実家が放火にあって、その火災
によって母親が大火傷を負ったのです。
皮膚移植などの治療を試みましたが
長野オリンピックの前年である1997年に
亡くなられているんです。
葛西紀明さんは今まで一生懸命働いて
育ててくれた母親に長野五輪をみせて
あげたかったと憔悴しきって、一時期は
スキーもできなくなるほど落ち込んだ
そうです。
長野オリンピックでは葛西紀明さんは
怪我によって金メダルを逃すなど
辛い出来事が続きました。
しかし、ソチオリンピックでその雪辱
を果たしたんです。
個人ラージヒルで銀メダル
団体ラージヒルで銅メダルを獲得しました。
そして、それまで疎遠になっていた
父親とは母親が亡くなった後から徐々に
連絡を取るようになったそうです。
父親は北海道の名寄市のアパートで1人
暮らしをしているそうです。
そして・・・
葛西紀明さんの妹さんの久美子さんは
1993年の16歳のときに難病の
再生不良性貧血と診断されて長年闘病
をしていました。
妹の久美子さんは臍帯血治療により
一度この病気を克服していました。
2003年に結婚をしていたのですが
2013年に最初をして再び闘病をしています
2015年5月に昏睡状態となって
2016年1月13日に慢性移植片対宿主病
により38歳の若さで亡くなられています。
このとき、葛西紀明さんはフライング
世界選手権に出場するために
オーストラリア入りしていて欠場も
考えたそうですが、姉の紀子さんに後押し
されて喪章をつけて出場をしています。