横井庄一の帰国後はどんな生活を?結婚した嫁や子供は?

横井庄一の帰国後はどんな生活を?

結婚した嫁や子供は?

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横井庄一の帰国後はどんな生活を?

横井庄一さんは太平洋戦争後に終結して28年目に

グアムで地元の猟師に発見された残留日本兵ですが

帰国してからどのような生活を送ったんでしょうか

 

昔の教育を受けていた横井さんは

生きて帰ることが恥と教えられていました

そのために

帰国の際に羽田空港で第一声が

「恥ずかしいけれど、帰って参りました」でした

 

現在この言葉を聞くと胸が苦しくなります

この時代に生きた人々の苦しさや

悲惨さを痛感する言葉ではないでしょうか

 

帰国後は横井さんは

愛知県名古屋市中川区富田長に居住しました

 

戦争中の日本しか知らない横井さんが

戦後の日本になじめるかどうか

心配されました

 

しかし驚くほど戦後の日本になじむことが

できたんです。

 

貨幣価値が戦前とは全く違ったんですが

ジャングル生活をしていたために

貨幣との関わりがなかったことが

逆に馴染み安い一因となったようです。

 

しかし何の苦労もなく戦後の日本に

なじんだわけではありません・・・

 

大々的に報じられた横井庄一さんの帰国や

ジャングルでの生活に人々の

好奇の目は注がれてしまったんです。

 

どこに行ってもマスコミが付いてくる始末で

プライベートな時間を過ごすことが

できなくなっていたんです。

 

その上横井さんが住んでいる家に

観光バスが止まるような事態にも・・・

 

現在の日本のプライバシー保護の時代では

考えられないことですが

当時1972年には平気で行われていたと

いうことに常識というものを

改めて考えさせられます。

 

時代やその時の情勢によって常識なんて

180度変わるものなんですよね。

 

横井さんは人間不信に陥ってしまうんです

 

帰国後に数回のお見合いをしています

何回お見合いをしても結局は相手の人が

引き下がってしまうんです・・・

 

心がずたぼろになっていた横井さん

でしたが、そんなときある女性とお見合い

をしました。

 

その女性がきたときに人間不信に

陥っていた横井さんは

開口一番

「わたしを見たくて来ただけだろう」と

言ったんです

 

しかし、相手の女性は

「あなたを見るために、急に京都から来るほど

物好きではありません。横井さんも1年でも2年でも

あせらずお嫁さんを探さないと幸せになれないと

思います。結婚とは簡単なことではありませんわ」と

いったそうです。

 

横井さんはしばらく黙って・・・

「叱ってくれる人が好きだ」と言ったそうです

 

そしてその女性がのちに横井さんと

結婚をした嫁の美保子さんです

44歳でした。

 

横井さんは初めて自分のことを

本当にみて叱ってそして考えてくれる

人に出会ったと感じたのではないでしょうか

 

嫁はステキな女性ですね

横井さんが帰国した当時の動画をみることができます

 

横井庄一の嫁や子供とは?

幡新美保子さんで44歳でした

横井さんは57歳だったので13歳の年の差が

あったということですね。

 

横井さんは1997年82歳で亡くなられています

 

嫁の美保子さんは横井さんが生前自宅を

記念館にしてほしいという意思を現実の

ものにしたんです。

 

25年間連れ添った自宅を改造して

記念館にしたんです

 

その記念館には横井さんがグアム島で

掘って造った隠れ家を原寸大で再現して

室内にあったカマドや手作りの竹製のカゴ

ヤシの実を利用した食器や魚をとる漁具などを

展示しているんです。

 

記念館は横井さんの思いがつまるように

小さいながらも臨場感がたっぷりなんです

 

横井さんは人一倍忍耐力がある人だったと

嫁は語っています。

帰国後も精神修行のために陶芸を始めて

作っては壊しての繰り返しで気に入った

作品ができるまで決して諦めなかったようです

 

そのような精神の強さがあったからこそ

28年間ものサバイバルを可能にしたのかも

しれません。・・・・

いや・・・28年のサバイバル生活が

そのような精神力を作ったのかもしれません

 

横井さんは日本に帰って

美保子さんという素晴らしい嫁を得て

初めて安住の地を得て気持ちを

穏やかに過ごすことができたのかもしれませんね

 

子供さんはいなかったようです