チェッカーズのメンバーその後は?解散理由や再結成できない確執とは?

チェッカーズのメンバーその後は?

解散理由や再結成できない確執とは?

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チェッカーズのメンバーその後は?

チェッカーズは1980年代から1990年代

に大活躍していた男性7人の

ロックバンドです。

 

1992年解散をして以来

最近のバンド再結成ブームでも

再結成をすることないロックバンド

なんですね。

 

チェッカーズのメンバーの

その後はどうなっているのか

調べてみたいと思います。

 

まずは・・・

メンバーの紹介ですね

 

・藤井フミヤ

(フジイフミヤ:1962年7月11日)

リードボーカル

 

・武内享

(タケウチトオル:1962年7月21日)

ギター・リーダー

 

・高杢禎彦

(タカモクヨシヒコ:1962年9月9日)

ボーカル(パーカッションなど)

 

・大土井裕二

(オオドイユウジ:1962年11月2日)

ベース・副リーダー

 

・鶴久政治

(ツルクマサハル・1964年3月31日)

ボーカル(キーボードなど)

 

・徳永善也

(トクナガヨシヤ:1964年6月7日)

ドラムス

 

・藤井尚之

(フジイナオユキ:1964年12月27日)

サックス(ギター・フルートなど)

 

チェッカーズのその後(現在は?)

 

・藤井フミヤ

ボーカルを務めていたフミヤさんは

現在も音楽活動を主にしていて

ソロでも成功を収めていることでも有名

ですよね。

 

・武内享

解散のその後は武田真治さんや

CHEMISTRY(ケミストリー)の

サポートをなどを務めていました。

2003年には元チェッカーズメンバーの

藤井尚之さん・大土井裕二さん

徳永善也さんとアブラーズとして

活動しています。

 

上記に挙げた方以外のアーティストの

プロデュースなども行っているようです。

リーダーシップの能力に長けている

ことでも有名です。

 

・高杢禎彦

解散のその後は、バンド中にもしていた

俳優活動をしたり2003年には

作家活動を開始しています。

がんを患ったことやチェッカーズの

暴露話などを書いたエッセイも出版

しています。

 

・大土井裕二

解散のその後は俳優業やseamusにて

活動をしています。

2003年には武内享・藤井尚之・徳永善也

と共にアブラーズを結成し活動中。

 

・鶴久政治

解散後はほとんどのメンバーが

チェッカーズ当時の事務所を離れた

んですが。引き続き事務所に残って

ソロ歌手としてやタレントとして

競艇場ライブやものまね番組などで

活動しています。

 

その後事務所がマネジメント業務

から撤退したために、2003年に

高杢禎彦さんが所属していた事務所に移籍

したんですが、またもや事務所が撤退

したために、2006年にスイートルーム

へ移籍しています。

 

・徳永善也

徳永さんの実の父が踏切事故で1985年に

他界しています。

その時に事務所が補償などを行って

くれたそうです。

そのため解散後に徳永さんも

恩義を返すために事務所に残った

そうです。

 

1993年にリトルバッハを結成

したんですが売れることなく

1998年に解散しています。

2002年にWILD-Gに加入

その後アブラーズを結成しました

音楽活動を中心に活動していました。

 

しかし、2004年8月17日に

舌ガンを患って40歳で亡くなれました

生涯独身だったそうです。

 

・藤井尚之

ボーカルのフミヤさんの実の

弟であることでも有名ですね。

 

解散のその後はソロ活動をしながら

兄のフミヤとF-BLOODを結成。

 

LOVELOVEあいしてるのバックバンド

にも参加しています。

斎藤ノブ、後藤次利とNon Chordsでも

活動をしました。

 

2003年にアブラーズを再結成して

活動を開始。

 

女優で元アイドルの小泉今日子さん

との熱愛の噂もありましたが

2005年に12歳年下の一般女性と

結婚をしています。

 

クロベエこと後藤さんが亡くなられたときには

ショックを受けたことを思い出します。

もうこれで・・・チェッカーズとしての完全なる

再結成はなくなったとがっくりと落ち込んだことを

思いだします。

 

チェッカーズ解散理由や再結成できない確執とは?

チェッカーズというと1980年代

から1990年代の時代を生きてきた人に

とってはかなり影響力のあるバンドですね。

 

しかしバンドというのは解散と

いうものがつきものといってもいいでしょう

 

チェッカーズもその1つのバンド

であったんです。

それは時代の流れであったり

それぞれの成長であったり

仕方のないことなのかもしれません

 

しかし、その後に出てきた

チェッカーズのメンバーの確執が

いろいろなことで浮き彫りに

なってきました。

 

発端は高杢さんが出版した本の中に

チェッカーズの暴露話を

書いていたところです。

 

暴露話というのはそれぞれの

話を全部聞きながら整合性を

とらないと成り立たないでしょうが

やはりそれをみた人は少なからずとも

そういうことがあったんだろうと

思います。

 

チェッカーズ解散はフミヤさんが

いきなり言い出したと高杢さんは

言っているようです。

 

それに納得できなかった高杢さんは

かなり憤慨したようですね。

 

チェッカーズはやはり

フミヤさんの人気で成り立って

いる部分は大きかったので

解散をすると、他のメンバーが食べて

いけなくなることが目にみえて

いました。

 

あくまでも推測ですが・・・

高杢さんとフミヤさんは幼稚園

時代からの幼馴染だったようです。

 

高杢さんは身体が大きく番長として

かなり幅をきかせていたようです。

誰もが自分の言うことを聞くぐらいの

存在でもあったようです。

 

しかしフミヤさんは身体が小さく

やんちゃだったことはあるけれど

小さい頃はかなりの泣き虫だった

ようです。

 

チェッカーズ時代に

フミヤさんの中には自分の存在

に対する高杢さんの対応など

不満に思う部分が多かったのかも

しれません。

 

7人のメンバーのひずみが

浮き彫りになったのは

メンバーのひとりであった徳永さんの

お葬式のときでした。

 

フミヤグループといわれた

武内享さんと大土井裕二さん

藤井尚之さんたちは

高杢グループとされる高杢禎彦さん

と鶴久さんの発起人を拒否した

んですね。

 

それを見ていたファンは

とても悲しい気持ちに

なったと思います。

 

メンバーの1人が亡くなったのに

確執を表に現すような

形になってしまったのですから。

 

確かにあれから私自身も

チェッカーズに

対する気持ちもなんだか

もやもやしています。

 

一番悲しんでいたのは亡くなった

クロベエではないでしょうか・・・

 

高杢さん派といわれている

鶴久さんはテレビの取材で自分が

高杢さん派になった覚えがないし

いつからはずされたのだろうと

語っていました・・・

 

こうなってくるとメンバーに

しかわからない原因や

拭いきれない確執があるのだと

感じさせられますね。

 

もはやチェッカーズが

再結成することはないといっても

いいのではないでしょうか。